映画「紅の豚」の中で主人公のポルコ・ロッソが、 「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ!」 と格好いい台詞を言うのですが、その台詞を思いだすたびに黄色い鳥を思い浮かべてしまいます。
この話はセキセイインコを飼うことになった我が家の話となります。
目次
ノイローゼ気味だった中学生とセキセイインコと出会い
私が中学2年の頃、フラフラとデパートに行くと、ペットショップに雛のセキセイインコが売られていたました。
かわいい声でピーピーと鳴いているんですよ。
私の心の中には天使と悪魔が住んでいます。
鶏肉をうまそうに食べるくせに、その雛鳥たちの鳴き声に吸い寄せられるように近づき、しばしの間、雛鳥たちを見ていました。
決してお腹がすいていたわけではありません。
ただ眺めているだけで癒されるような感じがしたんです。
そんな風に思いながらも、私は何食わぬ顔でお腹がすいたら鶏肉を食べる悪魔なのです。
それなのに天使の部分の私は、ピーピーと鳴いている雛鳥たちが可愛いと思ってしまいました。
特に黄色い色をしていて、目が赤い雛のセキセイインコを人目見て気に入りました。
ピーピーと鳴いている声が 「私を救って? 私をここからだして?」
そんな風にさえ聞こえました。
この頃の私は少しノイローゼ気味だったのかもしれないです。
中学1年生から部屋に閉じこもった日々
中学1年の頃から約1年、私は親父といっさい口を聞かない生活を送っていました。
家に親父が帰ってきたら、絶対にみんなの集まるリビングには行きませんでしたし、部屋から一歩もでませんでした。
もちろん夕食も母親に部屋に運んでもらわない限り、絶対に食べなかったんです。
今にして思えば思春期特有の反抗期だったんだと思います。
部屋に閉じこもる生活は1年以上続くことになるのですが、人間というのは1人では生きていけません。
毎日そんな生活を送っていれば、寂しくなってしまうしノイローゼぽくなってしまいます。
セキセイインコから私を救って?と言われた気がしたのは、自分の悲痛な叫びだった
黄色いセキセイインコの雛鳥から、 「私を救って?」 と聞こえたのも、今にして思えば、「自分のこんな生活を救って?」と自分自身の悲痛の叫びだったのかもしれないです。
電車に乗り、右手はつり革をつかみ、電車に揺られている私の左手には鳥かごが握られていました。
黄色いセキセイインコの雛鳥がかごの中に入っていて、電車の中でピーピーと鳴いています。
私は衝動的に親にも相談せず、雛鳥を購入したのでした。
頑固者の私
そんな私はかなりの頑固者です!
幼稚園の入園試験にひとりだけ不合格になり、近所の子供たちが近くの幼稚園に通っているのに、ひとりだけ遠くの幼稚園に通いました。
幼稚園に行くのが嫌で、毎回幼稚園の送迎バスがくるたびに母親の手を離さず泣き叫んだんですよ。
そんな泣き虫だった幼稚園児の私は強情だったらしく、弟は無事に近くの幼稚園に入園をパスし元気に通っていたのですが、弟の運動会の時、親父と言い争いになりました。
そして運動会に行かずにひとりで待っていたのです。
しかも外でです。
たぶん 「そんなに行きたくなかったら外で待ってろ!」 と親父に言われたのでしょうね。
もちろんドアの鍵は閉められ、中に入ることはできませんでした。
私は家のベランダでひとり寝そべって、ずっと空の雲を眺めていました。
バカみたいに眺めていたっけ。
親父と母親と弟が運動会から帰ってくるまで、ずっと雲の動きを見ていました。
それが私の頑固者のはじまりだったんでしょうね。
セキセイインコの名前はキキにした
話は元に戻ります。
家に帰ると母親が雛鳥を見てびっくりしていました。
何の前触れもなしに突然私が鳥かごと雛鳥を家に持ち帰ったからです。
何か文句を言われるかと思ったのですが、結局何も言われずに雛鳥を飼うことになりました。
その日の夜は何だか自分の話し相手ができたようで嬉しくて眠れなかったです。
どんな名前にしようかと考えるだけで胸が高鳴りました。
いろいろと名前を考えた末、簡単に黄色いから「キキ」という名前にしました。
「明日から、キキと呼ぼう」 名前を決めた私は、安心して眠りについたのです。
私が中学校に行っている間、母親が雛鳥だったキキを世話してくれました。
雛鳥なので自分で餌を食べることのできないキキに、母親はインコ用の餌にお湯を混ぜてかきまわし、やわらかくして食べさせていましたね。
そんな状態ではキキは母親になついてしまうでしょう。
危機感をおぼえた私は、母親にキキと遊んだりしないでと頼みました。
しかし、キキが大きくなるにつれて、どうやら私になつかず母親になついていると何となく感じました。
嫌な予感が決定打になったのは、私がキキのくちばしに指を向けると、 「ギギギィー」 と怒ったような鳴き声で私の指を思いきり噛みついたからです。
その光景を見ていた母親は、自分も試しにキキに話しかけ、くちばしに指を向けました。
母親:キキちゃーん、お母さんですよー。
キキ:ウィン、ウィン、ウィン。
母親:お母さんにはキキ噛みつかないよ。
キキは母親にくちばしをこすりつけて、甘えた鳴き声をだしていました。
私はその光景を目の当たりにし、母親は私が頼んだにも関わらず、中学校に行っている間、キキと遊んでいたんだと確信しました。
セキセイインコは私に懐かなかった
私は真実を知るため母親に話しかけました。
私:お母さん、あれほど私が学校に行っている間、キキと遊んだりしたらだめだと言ったのに遊んだでしょ?
母親:うん。遊んだ。
私:……。
母親は私が学校に行っている間、私に黙って鳥かごからキキをだして遊んだりしていたのです。
キキは私になつかず母親になつくのも当たり前です。
このままでは母親にキキがとられてしまうと感じたので私もキキと仲良くなろうとがんばりました。
肩にキキを乗せていっしょにテレビを見ました。
しかし肩に乗っているキキは、私の耳たぶを思いっきり噛みついたりしてくるのです。
私は耳たぶに激痛が走り、あえなくキキを肩に乗せるのをあきらめてしまいました。
ガラスに激突してしまったセキセイインコのキキ
そんなキキは大人になり、部屋中を飛びまわるようになったのですが、はじめてキキが飛んだ時、何を思ったのかガラスに向かって、まっしぐらに羽ばたき、そのままガラスにごつんとぶつかってしまいました。
たぶん透明なガラスとは気づかず、外に飛んでいこうと思ったに違いありません。
ぶつかる瞬間を目撃した私は、小学3年までいた東京に住んでいた時の頃を思いだしました。
あそこは東京といっても田舎みたいな感じのところで、家の裏の庭に畑を作り、ウサギを飼っていましたね。
子供だった私は焼きそばや具の豚肉をウサギに食べさせてしまう悪い子供でした。
ウサギのかごは親父の手作りでしたが、そのかごのとなりにうずらも飼っていたんです。
うずらは飛びあがる鳥で、かごの天井が低かったせいか、うずらが飛びあがった瞬間、天井に頭をぶつけて亡くなってしまいました。
ガラスにぶつかったキキは、まっさかさまに落ちていきます。
私は慌てて駆けより落ちていくキキを手のひらで受けとめました。
はじめて飛ぶ喜びを味わって、すぐに亡くなってしまうなんて悲しすぎます。
私は悲しい気分になり、手のひらで受けとめたキキを見つめました。
かすかにキキの鳴き声が聞こえたんです。
どうやら一瞬気を失っていたようでした。
私はキキに話しかけました。
「バカだなキキ、ぶつかったのはガラスだよ。透明だから分からなかったのかもしれないけど、いきなりガラスにぶつかってびっくりしたよ。でも、生きててよかったな」
キキは弱々しい鳴き声で鳴きつづけました。
小学3年の頃に飼っていたうずらは天井に頭をぶつけて亡くなったけど、キキは生きています。
もしかしたら亡くなったうずらが守ってくれたのかもしれないです。
どことなく変わったセキセイインコのキキ
頭をガラスに激突してからのキキは、どことなく変わりました。
キキは鳥かごも含め、家族が集まるリビングに置かれていたのですが、鳥かごのドアを自分のくちばしで持ち上げ、鳥かごの外に自分の意思ででるようになりました。
好きな時に鳥かごからでて、部屋の中を自由に飛びまわり、部屋の壁紙をポリポリとかじっては母親に「キキちゃんだめでしょ! そんなことしたら」 と怒られていました。
何度怒られてもキキは母親が何を言っているのか理解できずに、また壁紙をかじります。
母親はあきれて怒らなくなりましたが、私はその前に鳥に怒っても通じないんじゃないかと思っていたので、鳥に向かって真剣な眼差しで怒っている母親の姿がおかしかったです。
突然、しゃべりだしたセキセイインコのキキ
母親は私が学校に行っている間に、キキに向かって話しかけていたらしく、ある日突然、 「キキちゃん、キキちゃん」 と聞いたこともない声がリビングから聞こえました。
声の主を探しにリビングに行くとキキがしゃべっていたんですよ。
キキが日ごとに成長していく姿を家族で見守りながら、キキはすっかり母親になついてしまいました。
自分で鳥かごのドアを持ち上げては外にでて、部屋の中を縦横無尽に飛びまわり、母親の肩にとまってはいっしょにテレビを見ていました。
私は懲りずにキキに指を向けてみると「ギギギィー」 と怒った鳴き声で噛みついてきます。
私は悪知恵を働かせ、母親に私の指をいかにも母親に指のように見せかけて、キキに近づけてだまそうとしました。
母親の声で「キキちゃん」と言ってもらいながら、近づけるとキキは騙されて「ウィン、ウィン」と甘えた鳴き声をだして、くちばしを私の指にこすりつけてきます。
しかし、キキは急にくちばしの動きをとめ、思いっきり私の指を噛みつきました。
すぐに私の指だとばれてしまったのです。
ベランダから大空に飛び立ってしまったセキセイインコのキキ
キキは母親が大好きです。
それはそうでしょうね。
雛鳥の時に餌を運んでくれたのは母親なのだから、なついて当然です。
母親はキキを肩にのせたままベランダにでて洗濯物を取りこむようになり、キキも決してベランダから飛んでいくこともなく、2人の関係はうまくいっているようでした。
しかし、ある日事件は起きました。
キキを肩にのせたまま意味不明な鼻歌を歌いだしながら、ベランダの外に母親がでた瞬間、キキはベランダから大空に向かって飛んでいってしまったのです。
電信柱の電線にとまっていたカラスがキキを発見し、捕まえようとキキを追いかけます。
キキは必死で飛んで逃げていきます。
母親は口を半開きにしてぽかんと身動きもせず見守っていました。
キキは向かいの家のほうに逃げ込み、カラスはキキを諦めたらしく大空へ飛んでいきました。
私と母親は急いで外にでてキキを探しまわるると、向かいの家にある屋根の下で、かすかにキキの鳴いている声がしました。
私が捕まえようとしたら逃げる可能性があるので、母親がキキの名前を言いながら、キキを両手で優しくつかみました。
またしてもキキは生きるか死ぬかの選択で、運良く生き残ることができたんです。
運が悪ければ、あのままカラスに捕まえられ、食べられていたかもしれないです。
キキは弱肉強食の世界を知らず、自由に部屋の中を飛びまわり、好きな時に餌を食べていました。
さぞかしカラスに追いかけられた時は怖かったでしょう。
飛べなくなったセキセイインコのキキ
母親も今回の件はショックだったみたいで、それから2度とキキをベランダに連れて行くことはなかったです。
キキもカラスに追いかけられたのがよっぽど怖かったのか、やけ食いみたいにむしゃむしゃと餌を食べ、すっかり肥えてしまい、映画「紅の豚」ではありませんが、体重のせいで部屋の中を飛びまわることができなくなり、飛べない鳥になってしまいました。
だからなのでしょうか。
映画「紅の豚」に登場する主人公のポルコ・ロッソが、 「飛ばねぇ豚はただの豚だ」 と台詞を聞くたびに私はキキを思いだしてしまいます。
そう、キキは20年以上前に亡くなったんです。
私はその頃、ひとり暮しをしていたのでキキが亡くなった話は、実家に帰ってきた時に母親に教えてもらいました。
その話はとても悲しく、今でも私の心にキキの記憶が大切にしまわれています。
後年のキキは、尾っぽのところに腫瘍ができて膨れあがっていました。
母親の話では、昼間でもよく眠り、元気がなかったらしいです。
鳥かごには3つのドアがあり、餌と水が入れてある正面にドアがそれぞれついています。
そのドアはキキの力でもくちばしで持ち上げることができます。
一方、餌と水の真中にもドアがあるのですが、それは重くてキキの力では開けることができません。
だからなのですが、いつも夜になってキキを寝かす時は、餌と水のところにあるドアは洗濯バサミではさんで、開けられないようにして黒い布をかぶせてキキを寝かせていました。
しかし、老いたキキはドアを完全に開けることがしだいにできなくなり、自分の力では鳥かごの外にはでることができなくなっていました。
それでも自分が鳥かごの外にでたい時は母親に教えるために、ドアを持ち上げて音を鳴らし、母親にだしてもらっていたみたいです。
亡くなる間際のキキは、一日の大半を眠りについやしていたらしいです。
鳴き声も元気のいい鳴き声ではなく、どこか弱々しい鳴き声だったと母親は話していました。
生き物を飼うということは、生きている時の想い出を受けとめるのと引き換えに、生死を受けとめなければならないです。
子犬を可愛いからと飼って、大きくなって可愛くなくなれば、ポイ捨てでは生き物は可哀想であり、飼い主に捨てられた犬は、いつまでも飼い主のことを想い、寂しい毎日を送ることになります。
子供の時に映画「ハチ公物語」を見たのですが、もう亡くなってしまった飼い主を毎日、駅で待っているハチ公の姿はとても悲しく、見ていてせつない気持ちになった記憶がありました。
もう飼い主は帰ってこないことを知らずに、ずっとハチ公は待ちつづける。
それが人間ではなく犬であったこと。
生き物にとって飼い主は自分の生きている世界の全てだったということ。
人間は生き物を飼っていても、他にも様々な生活が待っていて、生き物が全てではないかもしれない。
しかし、生き物にとっては飼い主が全てなのです。
キキにとっての飼い主は母親であり、キキにとってのかげがえのない存在だったに違いありません。
老いたセキセイインコのキキの最後の時
そして、悲劇は突然やってきます。
何の前触れもなくやってきます。
飛行機墜落事故で生死を覚悟した男性が残された妻や子供に最後の手紙を書いていました。
墜落で何分後には自分が亡くなってしまうことを分かりながら、心の平静を何とか保ち、妻に最後の手紙を書き綴る男性の心中は無念の心でいっぱいだったでしょう。
いつもどおりに母親は夜になり、キキを寝かせようと黒い布をかけました。
キキは、まだ寝たくないと叫んでいるみたいにピーピーと鳴きつづます。
後年のキキは鳴くのもやっとだったのだから、懇親の力をこめて鳴きづづけたに違いありません。
鳴きづづけても、母親が知らん顔をしていたせいか、今度は必死に鳥かごのドアを何度も何度も持ち上げたらしいです。
そうすれば母親が鳥かごからだしてくれると思ったのでしょう。
老いたキキにとっては、鳥かごのドアを何度も持ち上げるのは安易なことではありませんでした。
そのドアを持ち上げる回数は、まるで生命の終わりを告げる時計の針が進んでいくように、ガシャン、ガシャンと鳴り響きます。
ドアを持ち上げようとしたので、母親は洗濯バサミでドアをはさめばあきらめるだろうと、久しぶりにドアを洗濯バサミではさみました。
キキはそれでも何度もくちばしで持ち上げようとしたらしいのです。
しばらくドアを持ち上げようとキキはがんばったのですが、母親はキキをだしてあげることはしませんでした。
キキはあきらめたのか鳴き声もしなくなり、ドアを持ち上げようともしなくなりました。
それから3時間後、キキの悲鳴に近い鳴き声が聞こえ、鳥かごのとまっている棒からバタンと落ち、物凄い音がしました。
母親はまだ起きていたので、何ごとかと鳥かごにかけている黒い布をとってみると、鳥かごに横たわり、亡くなっているキキの姿がありました。
キキはもう自分が死ぬのを知っていて、何度もドアを持ち上げ、母親に自分が今日いなくなることを伝えたかったのでしょう。
母親は、死んだキキを両手で優しく包みキキの死に顔を見ました。
その死に顔は安らかに眠っていた。
カクヨムと小説家になろうとnoteでIshikawa Family国際結婚物語を執筆中です。2020年3月27日に【カクヨム運営の公式レビュー】「聞こえますか、このメッセージ」4選にIshikawa Family国際結婚物語が取り上げられました。
